1200年の時を越える旅 高野山開創1200年記念大法会

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世界遺産・高野山町石道

高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道です。

弘法大師はこの道を通り、月に9度は山をおりて麓の慈尊院に滞在していた母のもとに通われたといわれ、現在の地名「九度山」の由来となりました。やがて、大師信仰の広まりとともに多くの人々が参拝に訪れるようになり、高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれました。

中でも高野山町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えています。

卒塔婆形町石[そとばがたちょういし]

高野山壇上伽藍を起点とし山麓の慈尊院に至る参詣道に180基、壇上伽藍か ら奥之院に至る参詣道に36基の卒塔婆形町石が1町(約109m)ごとに建てられています。町石には密教の仏尊を示す梵字と壇上伽藍までの町数、そして寄進者の願文が刻んであり、全長約23km(うち高野山内4km)、標高差700mの道をたどりました。町石道が開かれた当初は木製であったため、やがて朽ちていきましたが、鎌倉時代、幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により木製の卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、ほぼ完全な形で今日に遺されています。

語り部と歩こう!高野山町石道ウォーク

高野山町石道の歴史・文化・季節の植物の解説などを聞きながら高野山町石道を散策できます。

聖地につづく 祈りの道

高野七口[こうやななくち]

高野山に至る信仰の道は、高野山町石道をはじめとして、高野街道京大坂道[こうやかいどうきょうおおさかみち]、黒河道[くろこみち]、大峰道[おおみねみち]、熊野古道小辺路[くまのこどうこへち]、相ノ浦道[あいのうらみち]、有田・龍神道[ありだ・りゅうじんみち]の7つの道があり、多方面から参拝者を導きました。高野山町石道の他にも高野街道京大阪道は江戸時代末期になると、利用者が多くなり、旅館や茶屋で賑わいました。道中には堺市の13里石から始まって不動坂口女人堂まで1里(約4km)ごとに里石(道標)が建っています。

女人道[にょにんみち]

高野山は、明治5(1872)年に女人禁制が解かれるまで、 女性の入山を厳しく規制してきました。高野山への参詣道「高野七口」の各入口には、女性のための籠もり堂として女人堂が建てられていました。女性信者は御廟を拝みたいと女人堂から女人堂へ高野山を取り囲む八葉蓮華の峰々をたどったといわれ、この道を「女人道」と呼んでいます。

麓の世界遺産を巡る

高野山の麓にも世界遺産に登録された神社仏閣が点在します。

丹生都比売神社
にうつひめじんじゃ

1700年以上前の創建で、紀伊国一之宮。天照大御神の妹神である「丹生都比売大神」を祀る全国の総本社。弘法大師・空海はこの神社の社地の一部を授かり高野山を開山。大神は壇上伽藍の御社にも祀られています。平成26年11月に正遷宮が行われ、修復される本殿四殿は、春日造りで日本最大の規模を誇り、楼門とともに重要文化財。朱塗りの太鼓橋 は、淀君の寄進。
住所:伊都郡かつらぎ町上天野230
電話:0736-26-0102

慈尊院
じそんいん

弘仁7(816)年、弘法大師・空海が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として創建しました。空海の母は讃岐国から訪ねてこられましたが、当時高野山は女人禁制であったため、お山に参詣することができず、亡くなるまでこの地に滞在しました。子授け、安産祈願など女性にご利益のある寺院として有名です。
住所:伊都郡九度山町慈尊院832
電話:0736-54-2214

丹生官省符神社
にうかんしょうぶじんじゃ

弘法大師・空海が創建した古社で丹生明神と高野明神(狩場明神)をお祀りしています。狩場明神の従えていた2匹の犬は、空海を高野山へと導いたことから、導き(縁結び)の神さまとして信じられ、また安産(子授け)祈願として、親しまれています。この神社から高野山を遥拝することができます。
住所:伊都郡九度山町慈尊院835
電話:0736-54-2754